趣味から学んだ「楽しい」の極意とは?
サラリーマンとして働きながら、ボルダリングという趣味に没頭中。普段は毎朝満員電車に揺られ、会社に身を捧げている毎日です。
だけど、今、生きてて楽しいか?楽しくないか?と聞かれれば、ぼくは「すごく楽しい」と答える。
理由は単純。
趣味が楽しくて仕方がないから。
20代も後半に入り、人並みの人生経験はしてきたとは思うが、28歳になり、これほど楽しいという気持ちが芽生えてくるのは、初めて海外旅行に行った時と同じ、むしろそれ以上のワクワク感かもしれない。それが約2年続いている。
年齢を重ねると「楽しい」という気持ちはどこかえ消えてしまうのだろうか。この2年はなんだか小学生に戻った感覚で非常に新鮮な気持ちに浸っている。
そこで思うのですが、大人になってからこそ分かる真の"楽しいの極意"というものがあると思います。
全てを忘れ、自分の世界に入る。
ぼくは小学生の頃にゲームにハマっていた。ドラクエだ。
学校もそれなりには楽しかったが、帰宅してからのゲームがなによりも楽しみだった。トイレに行くのも忘れ、ご飯もいらないと思うほどハマっていた。
僕は今、当時ドラクエにハマっていた時と同じ感覚で趣味にハマっている。何もかも忘れ、自分の世界に浸っている時間が本当に楽しい。
自分の世界に入れる時間とは本当にすごい。仕事に関して言えば、僕は決して仕事ができる方ではないし、教えられたこともすぐに忘れるという欠点も多々ある。上司に怒られたり、ミスしたときはテンションも下がる。だが、僕の趣味のように自分の世界を持てて、本当に楽しいと思える場所があると、仕事で受けたショックなどサッと流せることができるようになる。
僕はネガティブ思考だし、メンタルも強い方ではない。だからこそ、心から楽しいと思える場所の大切さを学んだ。
コミュ症でもコミュ力が上がる
コミュニケーション能力は人と関わる上では大切なスキル。けど僕はそんなに高いコミュニケーション能力を持つわけではない。
人と会えば
「どうしよう。何か話さないとなぁ〜。けど話すことない。。。」
というような僕ですが、ボルダリングをやる中で出会った人たちとは必然的に共通の話題がボルダリングになるので、トークが弾む。そこから発展してプライベートの話になったり、仕事の話になったり。
人と話すことが楽しいと思わされる。
楽しいが創り出す心の余裕
僕の趣味はボルダリング以外にも、コーヒーがあるわけだが、それ触れている時間は本当に楽しい。自分が心の底から楽しいと思えるようなことに出会うと、小さなことは気にしなくなるようだ。
仕事でミスしても何とも思わない。それよりもボルダリングの登れなかった壁のことを考えてしまう。
帰宅すれば、家にあるコーヒーを2、3種類淹れてテイスティングを楽しみ、SNSにアップする。そしていつのまにか嫌なことも忘れる。
嘘のようだがこれは本当の話だ。
僕は決して強い心の持ち主ではない。普段であればミスしたらしょぼくれてその日はずっとネチネチしている感じだ。
そんな極弱の心の持ち主が、小さなことに何とも思わなくなるという、心の余裕ができる。これは本当に"楽しい"という趣味に出会ったからこそできる話でもある。
趣味でシナプス開発!!
没頭という領域に入れば、必然的に頭は良くなるのだろう。
どれだけ学校の勉強が出来なかったであろうと、好きなこととなると想像力と理論的思考が身につくのは間違いない。
僕の場合、
「どうすればこの壁を登れるのだろうか?あんなテクニックを使えばいいのか?あの場面でこんなことをすればいいのでは?」
という想像力。
「僕が失敗している原因は〇〇にある。だから〇〇を修正するためには、こんなテクニックを習得しなければいけなくて、それを習得するには・・・」
というような理論的思考。
これらは間違いなく身につく。
これらはボルダリングに限ったことではないはず。どんな物事でも、没頭すれば必ずこういった考えは生まれてくる。地頭強化だ!
"楽しい"の行き着く先は
これだな!
— くら | 趣味力強化中 (@kuuraa_xxvi) 2019年10月3日
『その場その場の経験に集中し、「没頭すること」こそが、本当の幸せを導く。』
趣味を見つけたいならひと通り試してみるのもあり。
ダメなら次!
これだぁ!と思ったら集中して没頭する!
ひと通り試して何もなかったら、それもそれで新たな発見。 https://t.co/3og5fwHS2m
将来に不安を抱えている人。現状の暮らしに不満を持つ人。
その解決策はもしかしたら没頭できる趣味を見つけることかもしれません。
状況は人それぞれ異なるでしょうが、少なくとも楽しくて没頭できる何かに打ち込むことで、幸せはゼロから1にできるはずです。
幸せな人生は"今"という時間の積み重ねです!