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コーヒー大国「ブラジル」には黒歴史があった!?

 
世界で一番コーヒーを生産している国はブラジル!っということは有名なお話しですが、コーヒー大国になるまでの背景や歴史を知っているとなると、それほど有名なお話しではなくなるようです。
 
今回は、ブラジルのコーヒー生産量が世界一になるまでのお話しや、あまり知られていない奥深き歴史について解説していきます。
 


ブラジルのコーヒー豆の生産量ってどのくらい?

 コーヒーは「コーヒーベルト」と呼ばれる赤道付近の国々において、約60カ国で生産されています。
 
調査によると、全世界で生産されるコーヒー豆の量は約9,000千トンとされています。
 
そのうち、約3分の1に当たる約3,000千トンがブラジルで作られているのです。
 
生産量世界第2位のベトナムでさえ、約1,500千トンの生産量なので、その2倍の量となると、圧倒的です。
 
コーヒー大国という名がふさわしいと言えます。
 
 

コーヒーはどうやってブラジルに伝わった?

コーヒー豆が、世界で初めて発見されたのは10世紀前半のエチオピアなんです。
 
それがブラジルに伝わってきたのは1700年代初頭に、当時フランス領のギニアからポルトガル軍将校が苗木を持ち込んだと言われています。
 
そして、1800年代入るとヨーロッパではナポレオン戦争が勃発するのです。
 
この時、ポルトガルの王家は自国から大西洋を渡りブラジルへ逃げてくるのです。
 
ポルトガルの王家がブラジルへ来ると、ブラジルの財源の確保のために、コーヒーという世界でもまだ新しい産業を発展させていったのです。
 
これが、ブラジルのコーヒー産業を本格的したきっかけとなったのです。
 
 

コーヒーとブラジルの過酷な歴史

 世界でコーヒー産業の先陣を切ったのはブラジルと言っても過言ではありません。
 
その甲斐もあり、現在では世界のコーヒー大国と呼ばれていますが、実はこれまでのブラジルのコーヒーの歴史は残酷な出来事も起きていたのです。
 
それが、奴隷制度です。
 
コーヒー産業の発展の背景には、黒人奴隷制度が適用され、大規模な農業とし産業発展に結びつけていったのです。
 
元々、ブラジルは奴隷制度に依存していた国だったのです。
 
それに加え、ブラジルへ逃げてきた王家の母国、ポルトガルも長い間アフリカ人の奴隷貿易を行なってきた国でもあったのです。
 
ブラジルのコーヒー産業における奴隷制度への依存は19世紀末まで続いたのです。
 
1888年にそれまでブラジルのコーヒー産業に最も投資をしていたイギリスがブラジルに奴隷制の廃止を求めたことで、奴隷制にようやく終止符打ちました。
 
 

コーヒーから見えるブラジルと日本の意外な関係

 20世紀の初め、ブラジルでは労働力不足という問題を抱えます。
 
それまで、ブラジルのコーヒー産業はヨーロッパからの移民を主な労働力としていたのです。
 
それがこの時代に入ると、ヨーロッパ政府は次々とブラジルへの移民を制限していったのです。
 
ちょうどこの頃、ヨーロッパからの移民に代わる労働力として、日本人の移民が活躍することになるのです。
 
この時代、日本では急激に人口が増えたことで、食糧不足や貧困化が深刻になっていたため、ブラジルへの移民が事業活動として始まったのです。
 
しかし、当事業はすぐに赤字になってしまいます。
 
そこで、日本人の移民を頼りにしていたブラジルは危機を感じ、赤字救済として、なんと、コーヒーを日本へ無料で提供することにしたのです。
 
このコーヒーを販売し、日本で「カフェ」の存在を広めるきっかけとなったのが「カフェー・パウリスタ」です。
 
1991年に開店したこの日本初のカフェは、新しい日本の近代的な文化となり発展していったのです。
 
このように、日本とブラジルはコーヒーを通じて、互いに助け合うような関係となっていったのです。